二ノ宮敬宇調教師【関東で優秀調教師賞?エルコンドルパサー?】

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二ノ宮敬宇調教師【関東で優秀調教師賞?エルコンドルパサー?】
についての情報です。

二ノ宮敬宇調教師

二ノ宮敬宇調教師は競馬サークルとは
一切縁のない家庭で育たちました。

 

大学卒業後4年間は神奈川県川崎市で
サラリーマンとして勤務していました。

 

どこで競馬に触発されたのかは
非常に謎のベールに包まれています。

 

通常は調教師にまで登りつめた人物であれば
必ず競馬との接点は公にしているのですが、
二ノ宮敬宇調教師は何故か公にはしていません。

 

1978年中央競馬のサークルに突然入り、
調教助手として、中央競馬のキャリアを
スタートさせます。

 

厩務員ではなく、調教助手として、
最初から任せられている事を見ると、
乗馬経験はあったと思われます。

 

それから12年間調教助手をする傍らで、
調教師を目指すようになります。

 

調教師試験は非常に難関で、
調教助手の傍ら勉強する時間も限られてきます。

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本業はあくまでも調教助手であり、
担当馬をローテーション通りに
軌道に乗せるのが主な仕事です。

 

また調教師の指示により、
的確に調教タイムを刻まなければいけません。

 

15-15の指示が出れば、
15秒・15秒で調整させなければいけません。

 

そんな二ノ宮敬宇調教師が調教師免許を取得し開業します。
開業当初は中々馬が集まらず、
常に20ある馬房が一杯になる事はありませんでした。

 

しかし二ノ宮敬宇調教師の努力が実を結び、
1994年優秀調教師賞(関東) を初めて受賞します。

 

その後、馬を預かって欲しいと言う馬主が増えだし、
20の馬房はあっと言う間にうまり、
常に40頭から50頭の馬を管理するようになります

 

その中で使えるのは20頭のみ。
放牧や近くの民間トレーニングセンター等で調整させ、
20の馬房をフル回転させます。

 

1998年の第32回共同通信杯4歳ステークスを
エルコンドルパサーが制し、
JRA重賞初勝利を挙げます。

 

しかし積雪の影響でグレード格付けはありませんでした。
第3回NHKマイルカップもエルコンドルパサーで制し、
JRAGI初勝利を挙げます。

 

エルコンドルパサーは海外のG1も制し、
凱旋門賞に挑むも2着に惜敗します。

 

エルコンドルパサーの能力をデビュー前から
最大限に引き出す事に成功しました。

 

二ノ宮敬宇調教師はエルコンドルパサーで3歳にして
ジャパンカップを快勝します。

 

この年のジャパンカップは2着。
エアグルーヴで3着。
スペシャルウィークと言った日本を代表する
名馬が上位を独占しました。

 

こうして二ノ宮敬宇調教師は指揮を取る二ノ宮厩舎は
厩舎一丸となって西高東低が続く競馬界においても
その勢力逆転の糸口を日々模索しています。

 

実際に西高東低は長年続いており、
関東競馬界の大きな問題点であります。

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